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《略歴》宮崎県出身。東京芸術大学卒業。同大学院修士課程、博士後期課程に学ぶ。ロータリー財団国際親善奨学生、イタリア政府給付奨学生としてイタリア・ミラノに留学。東京在住。
by tomokarco
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都立大江戸高校合唱部指導

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3/12 コンサート(東京)
6/12,13 『ラ・ボエーム』マルチェッロ役(東京)
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カテゴリ:イタリア留学回想録
  • トレヴィの泉
    [ 2007-04-26 20:32 ]
  • ピアノの巨匠・ポリーニ
    [ 2007-04-11 20:59 ]
  • イタリアの食事時間
    [ 2007-04-02 21:06 ]
  • ゴルラ先生のこと
    [ 2007-03-31 22:37 ]
  • 日本から来た言葉
    [ 2007-03-28 18:32 ]
  • イタリア人のサッカー熱
    [ 2007-03-25 11:31 ]
  • ミラノ・スカラ座での思い出
    [ 2007-03-19 21:57 ]
  • 1回目の短期留学(初めての海外) その2
    [ 2007-03-12 16:38 ]
  • 1回目の短期留学(初めての海外) その1
    [ 2007-03-11 13:20 ]
  • チャンピオンズリーグ
    [ 2007-03-08 16:57 ]
トレヴィの泉
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 今日、Yahoo!ニュースに『イタリアの「トレビの泉」、中年女性が裸で泳ぐ』なんておかしなニュースが載ってました。
 芸大の学部1年生のころの芸祭(学園祭)での出来事です。夜中、指揮科の同級生が酔っ払って上野公園の噴水池に飛び込みました。不運なことに、彼は池のなかで足を切ってしまい、そこからバイ菌が入って、1ヶ月間くらい杖をついて歩くハメになってました。トレヴィの泉に飛び込んだ彼女も、そうならないことを祈ります…。
 このトレヴィの泉、本当にすてきなところです。昼間もいいですが、夜はライトアップされてロマンチックな泉に変身します。ローマへ行った際は、昼と夜の2回行くことをお薦めします。デートにもってこいですね!
 みなさんは肩越しにコインをトレヴィの泉に投げると再びローマへ戻れるという言い伝えをご存知ですか?わたしは昨年の3月にローマを訪れた際に投げました。そして5月、妻の両親がミラノのわたしたちのところへへ遊びに来てくれました。ローマとフィレンツェへ行きたいと言うので、同行することになり、再びローマを訪れることができました。この言い伝えは本当です!もちろん5月にもコインを投げました。今度はいつローマへ戻れるだろう?『すべての道はローマに通ず』という言葉もあります。運命はローマへと続いていて、イタリアへ再び帰る日がくると信じています。
Ciao! またね!

P.S. 2枚目の写真は結婚式を終えたカップルがトレヴィの泉で記念写真を撮っていて、あまりにも美しい2人だったのでパチリとしました。

by tomokarco | 2007-04-26 20:32 | イタリア留学回想録
ピアノの巨匠・ポリーニ
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 今日はイタリアの大ピアニストマウリーツィオ・ポッリーニと会ったときのエピソードを紹介します(日本ではポリーニで通ってますが、芸術家のつまらないこだわりでイタリア語のつづりどおりポッリーニと表記します)。
 ある日、ミラノのガッレリーアにあるRicordi Media Store(イタリア最大手の楽譜出版社のショップ、日本でいうヤマハみたいなもの)の前で1枚のポスターが目に留まりました。ポッリーニの写真の下に、"Viene alle 18,00."と書いてます。わたしは受付のお兄さんに「今日の18時にマエストロ・ポッリーニがここに来るんですか?」と聞いてみると、ポッリーニのサイン会があるということでした。妻が彼のファンなので18時に再び戻ってくることにしました。
 実はわたし、ポッリーニのことをよく知らなかったんです。1942年生まれのミラネーゼ(ミラノ生まれの人の意)で、1960年にショパン国際ピアノコンクールで優勝しました。その後、研鑽のため演奏活動を休止してた時期もありましたが、つねに世界のトップピアニストとして君臨し続けました。わたしの電子辞書に内蔵されている百科事典のアルヘリチ(=アルゲリッチ、アルゼンチンのピアニスト)の項には、<ポリーニと並び戦後世代の双璧とされる>とアルヘリチのことが紹介されてます。つまり、ポッリーニは戦後の2大ピアニストの1人ということですね。昨年の2月、ショパンのCDの発売に先駆けてスカラ座でリサイタルをし、その日はキャンペーンのサイン会でした。
 わたしたちがRicordi Media Storeの2階・クラシックコーナーで並んで待っていると、ポッリーニがやってきました。小柄で痩せた人というのが遠くから見た印象でしたが、近くで見ると彼の目の奥には芸術家特有のギラギラした鋭さを感じました。世界の第一線で活動していても、活動を休止して勉強しなおすほどの人物です。きっと芸術に対して正直な人なんだろうと思いました。やがてわたしたちの番が来ると、わたしはイタリア語で「彼女はあなたのファンで、あなたが弾いたショパンを聴いたのがきっかけで、ショパンの音楽を好きになったんですよ。」と妻のことを紹介しました。巨匠は温厚な様子でわたしの話を聞いてくれました。1分ほどの対話でしたが、偉大なピアニストとの交流はわたしの心に豊かさを与えてくれました。
 家に帰るとさっそくサインをもらったCDを聴きました。楽譜にある音符で無駄な音はひとつもないというほどの正確で力強いポッリーニのタッチを聴いて、わたしも彼のファンになったことは言うまでもありません。
Ciao! またね!


by tomokarco | 2007-04-11 20:59 | イタリア留学回想録
イタリアの食事時間
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 桜満開の季節です。週末はお花見にでかけた方も多かったのではないでしょうか?昨年3月はイタリアにいたので日本の桜をみることができませんでした。イタリア国営放送RAI(日本でいうNHK)のニュースで、上野公園の桜が紹介されていて、「今年は桜をみることができないんだなぁ」と考えながら見てました。4月中旬だったでしょうか、近所の空き地に1本の桜の木があって、それが満開に花を咲かせてるのを発見しました。日本人の心が呼び覚まされた感じで、嬉しかったのを覚えてます。ミラノの冬は寒いので、開花も遅めなんですね。
 今日はイタリアの一般的な食事時間について紹介します。
 朝食は起きた時間しだいでしょうが、7:30から8:30くらいが一般的です。会社や学校がはじまるのは9:00ですが、東京人のように通勤・通学に1時間以上もかける人はいません。そんなに早い時間から起きて朝食をとることはないようです。
 昼休みは13:00から14:00で、その間が昼食時間です。パニーニを買って食べたり、家が近い人は家に帰って食べます。
 そして夕飯は20:00からが一般的です。この時間になると、各テレビ局は一斉に夜のニュースをはじめます。レストランが夜の営業をはじめるのは、ほとんどが19:30からで、日本に比べると遅めです。わたしはロータリー財団の奨学生だったので、地元ロータリークラブの夕食会に参加する機会もあったのですが、やはり20:00開始でした。ちなみにオペラ公演やコンサートがはじまるのは20:00もしくは21:00です。夜のはじまりが遅い国なんですね。
 今月からイタリアはサマータイムに変わり、日本との時差は8時間から7時間になりました。北半球の国々の日照時間は長くなりますが、イタリアは緯度が高いため日没が遅く、夏至のころには22:00くらいまで明るいです。夜の始まりが遅いイタリアでは、人々はますます活動的になり、夜更かしがちになり、寝不足人口が増えてくるのではないでしょうか(笑)。
Ciao! またね!
by tomokarco | 2007-04-02 21:06 | イタリア留学回想録
ゴルラ先生のこと
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 今日は、わたしのイタリアのもうひとりの師匠のルーカ・ゴルラ先生を紹介します。
 ゴルラ先生はミラノ・スカラ座のコレペティトゥアです。わたしは帰国後にロッシーニの《セヴィリアの理髪師》の稽古と本番を控えていたため、ゴルラ先生のもとではドン・バジリオのパートを勉強してました。
 まず、わたしは自分用の楽譜とは別に、ゴルラ先生用の楽譜を用意します。先生はピアノの前に座ると、ドン・バジリオの登場シーンを最初から弾きはじめ、わたしはそれに合わせてうたっていきます。ときどき発音などを注意され、それができるまで何度か繰り返します。そして、最初のシーンが終わると、次の登場シーンへと進んでいきます。ドン・バジリオの出番はトータルで45分くらいなので全部うたい通したころには、1時間のレッスンが終わります。
 重唱やレチタティーヴォ・セッコでは、わたしの相手役のパートをうたいながらピアノを弾いてくださいました。わたしがシチュエーションを理解しやすいように、あるシーンはロジーナのパートを女性の声色でうたい、また別のシーンでは熟年バルトロのパートを表情たっぷりにうたってくださいました。
 コレペティトゥアについての補足です。コレペティトゥアとはもともとはフランス語に語源をもつ言葉です。イタリア語にはこれに相当する明確な言葉はありません。コレペティトゥアでも通じますが、一般にはPianistaピアニスタ(ピアニストの意)とシンプルに呼ぶことが多いです。また、学生がコレペティトゥアのレッスンを受ける場合には、「Spartitoスパルティート(楽譜の意)のレッスンを受ける」と言います。ちょっと変な言いまわしですね。
 コレペティトゥアには依頼された曲を柔軟に弾きこなすことが求められます。時には相手役のパートをうたってあげたり、音楽面のみならず言葉の発音などのアドヴァイスもします。ですから、歌手と同様もしくはそれ以上にオペラに精通している必要があります。
 ゴルラ先生はパーフェクトなコレペティトゥアでした。世界最高峰のミラノ・スカラ座で多くの名歌手と接してきたコレペティトゥアというだけあり、今まで出会ったなかで、最高のコレペティトゥアです。
Ciao! またね!

by tomokarco | 2007-03-31 22:37 | イタリア留学回想録
日本から来た言葉
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 石川県での地震から3日たちました。
 わたしが生まれ育った宮崎県は、台風がよく来るところです。以前は、地元の人は宮崎のことを、台風でにぎやかなところという意味で台風銀座などと言っていたそうです。実際にわたし自身、台風のために水道と電気が一昼夜途絶えた経験を何度かしてます。普段、当たり前のように使えてたものが急に使えなくなると、人はストレスを感じるものです。被災地での一刻も早いライフラインの復旧と、被災者へのケアが望まれて止みません。
 さて、イタリアでは日本や東南アジアでの地震への関心は高く、その都度、全国版のニュースや新聞で報じられます。わたしが2度目の短期留学をした2004年11月は、新潟県中越地震の直後で、それからも続く余震のことが、毎日のようにニュースで扱われていました。
 その時、必ず耳にする日本語がありました。Tsunamiです。イタリアでは津波のことをツナミと呼ばれてます。ツナミは世界共通語となってるようで、英語の辞書にも載ってますね。
 もうひとつ、イタリアのニュースキャスターがしばしば口にする日本語があります。それはKamikazeです。神風特攻隊に源を発するこの言葉、自爆テロの意味で使われ、イラクでそれが起きるたびに耳にします。太平洋戦争の神風特攻隊は、世界中の人々にとてつもなく大きな衝撃を与えたんでしょうね。
 まぁ、ツナミもカミカゼもあまりいい言葉ではないですね。KimonoとSushiは世界中の誰もが知ってる言葉です。いまの季節柄、わたしはSakuraを海外の人々に知ってもらいたいです。ピンク色の桜の花と、サクラという言葉の響きが、よくマッチしてますね。
 みなさんはどんな日本語を世界の人々に広めたいですか?
Ciao! またね!
by tomokarco | 2007-03-28 18:32 | イタリア留学回想録
イタリア人のサッカー熱
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 イタリアでは毎週、日曜日にサッカーリーグ・セリエAの試合がおこなわれます。キックオフはほとんどの試合が15時からで、人気チームの試合1~2試合のみが20時もしくは21時からです。15時前になると、テレビでサッカー特番がはじまります。特番をやってないチャンネルでも、まるで日本の国会議員選挙さながらに、各試合の速報が常に字幕で流れるという力の入れようです。
 イタリア人はとにかくサッカーになると熱くなります。2月2日、シチリアダービー(パレルモvsカターニャ)で、ファンが暴動を起こし警官1人が死亡、翌週のセリエAの試合では無観客試合という措置がとられたことは、記憶に新しいと思います。一般に南イタリアの人々は血が熱く、このシチリアダービーでの事件はそのことに起因していると言われましたが、ミラノダービー(ACミランvsインテル)でもいつも厳戒態勢がとられます。ミラノダービーの日は、うかつに両チームのユニフォームカラー(ACミランが赤黒、インテルが黒青)のコーディネイトで服を着ることができません。熱いファンにからまれる恐れがあるからです。
 このイタリア人のサッカー熱、微笑ましい光景も何度か目にしました。ある日、チェントロ(中心街)に飾ってあったACミランの選手の写真パネルを見ていると、老婦人が「彼はシェフチェンコね!」とわたしに話しかけてきました。年配の女性でさえも、サッカー選手の名前を把握しているのは驚きです。また、わたしのアパートの隣りのBARバールで、少年のような表情でサッカーのことを熱く語りながら、サッカーくじTotocalcioトトカルチョを買う老紳士の姿は、とてもかわいらしいものでした。
 サッカーを知る、イタリアを楽しむ秘訣のうちのひとつでしょうね。
Ciao! またね!

P.S. 下の写真は、過激なファンによって投げられた発炎筒です。試合前にはどこのスタジアムでも、このような光景を目にします。

by tomokarco | 2007-03-25 11:31 | イタリア留学回想録
ミラノ・スカラ座での思い出
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 わたしが留学していたイタリアのミラノには、世界屈指のオペラハウス“スカラ座Teatro alla Scala”があります。昨年12月10日、2006-2007シーズンの開幕公演《アイーダ》で、テノール歌手のロベルト・アラーニャが公演中に客席からのブーイングに腹を立てて舞台を降板し、代役の歌手がジーパン姿でその穴をうめたことで話題になりましたね。
 留学期間、スカラ座にはよく通いました。ガッレリーア席(客席の最上階、一番後ろの席)であれば、10~12ユーロ(約1500~2000円)で入場できます。

 限定140枚のガッレリーア席を手にいれるには…
①まず公演当日の13時にスカラ座脇のチケット売り場前に予約しに行きます。(※超人気演目のときは8時、マイナーな演目のときは17時になる)
②“Accordo”という名札をつけたスカラ座の職員のもってる名簿に名前を書くと、「17時半に点呼するから来てね」と言われます。
③その時間に戻ってくると予約順に整理券を渡されて、18時に販売開始、買うことができます。(開場19時半、開演20時)

点呼のときにいないと後回しになるので注意してくださいね。(《リゴレット》の公演のときは、予約番号が155番くらいだったので、ほとんどあきらめていたのですが、点呼時間に来なかった人がいたので、140枚限定のチケットをゲットすることができました。)
 こうしてしばしば半日かけてチケットを買ったものです。世界トップレベルのオペラ公演をこんな格安ではなかなか見れないので、留学期間中はほとんどのオペラとバレエの公演を見ました。とくに印象に残ってるのは、レオ・ヌッチのリゴレット、マルセロ・アルバレスのマントヴァ公爵、カルロ・グエルフィのスカルピアです。
 それにしても、イタリアでは歌手がアリアを完璧にうたうとブラーヴォの嵐、そうでないと静まりかえった客席から「ブー!」という声が聞こえてきます。《ルチア》の公演のとき、エドガルド役のテノールはハイCがうまくいかず、その瞬間、客席のあちこちからもれるため息を聞いたときは、イタリアの聴衆の厳しさにゾーッとしました。また、彼らは評論家顔負けの批評をします。ある時、となりに座っていたイタリア人の紳士が休憩中にわたしに話しかけてきました。
「あのテノールはイタリア人じゃないよね。どこの出身だろう?」
わたしはチラシを見て答えました。
「名前からして、スペイン人じゃないですかねぇ。」
そして彼はこう言いました。
「外国人なのにイタリア語の発音がいい!言葉がはっきり聞きとれるよ!」
 オペラ公演9演目、バレエ公演2演目、それぞれの公演に感動と与えられました。わたしが帰国する直前には、大学の先輩で、1999年に《ラ・ボエーム》で共演したことのある中島康晴さんが、《セヴィリアの理髪師》のアルマヴィーヴァ伯爵をうたわれました。わたしも中島さんのようにいつの日か世界一の大舞台でうたいたいです。
Ciao! またね!

by tomokarco | 2007-03-19 21:57 | イタリア留学回想録
1回目の短期留学(初めての海外) その2
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 『1回目の短期留学(初めての海外)』のつづきです。
 ホームステイ先のリリアーナさん、スイス人留学生・シルヴィオとの3人の生活、わたしたちは朝は7時半ごろ起きます。わたしとシルヴィオがイタリア語学校へいく準備をしている間に、リリアーナさんは朝食を用意します。朝食は、搾りたての生オレンジジュース、コーヒー、ヨーグルト、そしてビスケットにジャムをつけて食べるという、イタリア式のものです。8時半になると2人で30分間歩いて登校します。
 13時に授業がおわると、わたしはBARなどで昼食を済ませ、ホームステイ先へ帰って歌の練習をしたり、フィレンツェ市内を観光したり、歌のレッスンにいったりします。
 19時くらいになると、わたしとシルヴィオは居間に出てきて、イタリア版クイズ・ミリオネア(もちろん司会者はみのもんたではなく、イタリア人です!)を見ながら、イタリア語でおしゃべりします。その間、リリアーナさんは3人の夕食を作ってます。そして20時に夕飯がはじまります。1皿目がパスタ料理、2皿目が肉・魚料理とつけ合わせの野菜、そしてデザートにフルーツを食べます。それから寝るまでは、各々の部屋で過ごすか、居間でテレビを見ます。
 リリアーナさんの作る夕食はとてもおいしかったです。トスカーナ地方の郷土料理をはじめ、マンマの味を堪能させてくれました。娘さん夫婦がマンションの上の階に住んでいるのですが、もうすぐ孫ができると言っていました。生まれてくる孫のために、いつも居間で毛布を編んでいました。
 シルヴィオは、スイスのチューリッヒで鉄道員として働いていて、仕事のためにイタリア語を勉強しに来たと言ってました。敬虔なプロテスタントの教徒でもある彼は、とても真面目な27歳の青年で、午後はいつも部屋にこもって勉強してました。
 他にもイタリア語学校では、ナポリ近郊にあるイスキア島のレストランで料理修行をするという熊本県出身の3人組、イタリアが好きでたまらないという兵庫県出身の女性、イギリス人、ポーランド人、ドイツ人がいました。休日には彼らとスパニッシュバーでフラメンコを見たり、ディスコへ踊りにいったり、シエナやヴェネツィアへ遊びに行きました。
 イタリア人とともにする生活はとても有意義なものでした。この短期留学によってイタリアの魅力にとりつかれたわたしは、本格的にイタリアで留学することを決意し帰国したのでした。
Ciao! またね!

P.S. このときの写真もいろいろあったのですが、あいにく宮崎の実家に置いてきたんです。代わりにシニョリーア広場の一角にあるダヴィデ像の写真を添付します。フィレンツェには3体のダヴィデ像があり、アカデミア美術館にあるのがオリジナルで、これとミケランジェロ広場にあるのはコピーです。ダヴィデ像と同じポーズでをしてみました!

by tomokarco | 2007-03-12 16:38 | イタリア留学回想録
1回目の短期留学(初めての海外) その1
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 わたしが本格的にイタリアへ留学したのは2005年から2006年でしたが、その前に2回の短期留学をしました。2回ともイタリア中部の都市・フィレンツェのイタリア語学校に通っていました。今日は1回目の短期留学でのエピソードを紹介します。
 2004年2月、フィレンツェのイタリア語学校“Centro Fiorenza”に通うために旅立ちました。海外へ行くのは初めてのことでした。オーストリア航空を利用したわたしは、まず成田空港から約12時間かけてウィーンに行きます。それから4時間待ってボローニャ経由フィレンツェ行きの飛行機に乗ります。
 フィレンツェのアメーリゴ・ヴェスプッチ空港に着いたのは土曜日の夜11時でした。それから到着ロビーで、あずけたスーツケースが出てくるのを待ちますが、わたしのは出てきません。窓口で「わたしのスーツケース、出て来なかったんですけど…。」とたどたどしいイタリア語で聞くと、係員はパソコンになにやら打ち込んでこう答えました。
「あなたのスーツケースはウィーンにあるわ!」
つまり、ウィーンでフィレンツェ行きの飛行機に乗り替える際、わたしのスーツケースを移し変えるのを忘れたというのです!こういうケース、海外旅行ではよくあるそうですが、まさに初イタリアでの洗礼でした…。わたしはホームステイ先まで届けてもらうことにしました。
 その時、同じ境遇にあった日本人女性がいました。彼女は染物の勉強でフィレンツェに来たと言ってました。旅は道連れ…、各々が予約していたホテルが近かったので、タクシーに相乗りしてフィレンツェ市内へ向かいました。
 ホテルで1泊した翌日、ホームステイ先へ向かいました。受け入れ先のリリアーナ・トファナーリさんは、70歳くらいの女性でマンションに1人で住んでいました。ここには、同じイタリア語学校に通うシルヴィオというスイス人男性もいて、わたしたち3人のスタートしました。
 初めての海外生活、たくさんの感動がありました。『1回目の短期留学(初めての海外)』、今日はこの辺にしときます。最後にみなさんに教訓として訴えたいことがあります。ウィーンでの荷物置き去りトラブル、荷物がホームステイ先に着いたのは月曜日でした。貴重品以外のすべてをスーツケースに入れてしまっていたわたしは、3日間もヒゲを剃ることができず、同じ服と下着を身につけるハメになったのでした…。(イタリアの日曜日はほとんどのお店が休業で、空いていたとしても昼からの営業です。まだ土地勘のないわたしは、お金を持っていてもどこで買えばいいのかわからなかったのです。)
国際線の飛行機に乗るときの心得:
最低2~3日分の着替えと身の回り品は手荷物として携帯しよう!!

Ciao! またね!
by tomokarco | 2007-03-11 13:20 | イタリア留学回想録
チャンピオンズリーグ
Ciao tutti! みなさん、こんにちは!
 昨日と今日、チャンピオンズリーグ・中村俊輔選手が所属するセルティックとACミランの対決が、スポーツニュースで話題になってましたね。昨年の3月8日、わたしたち夫婦はACミランバイエルン・ミュンヘンの試合を、ミラノのサン・シーロ・スタジアムで観戦しました。
 わたしたちがスタジアムへ行くために、最寄のトラム(路面電車)停留所で待っていると、お父さんと息子といった感じの2組のペアーがやってきました。彼らはハンガリーからチャンピオンズリーグを観戦しにきたと言っていたので、わたしたちは土地勘のない彼らと一緒に行くことにしました。
 途中でスタジアムへ行く16番トラムに乗り換えて、しばらくするとドイツ人の団体が乗ってきました。彼らはバイエルン・ミュンヘンを応援しにドイツからやってきたのです。彼らはすでに戦闘モードで、「バ~イエルン!バ~イエルン!!」と野太い声をはりあげてました。
 やがてトラムはスタジアムへ着き、ドイツ人の騒音から解放されると、セキュリティチェックを受けて、スタジアムのなかに入りました。ビックチームの対決とあって超満員です。熱烈なファンによって発炎筒が投げ込まれ、やがて試合が始まりました。
 ジラルディーノ、インザーギ、シェフチェンコといったイタリアサッカー界を代表する選手を有するACミランと、日本でも人気のカーン率いるバイエルン・ミュンヘンの対決は、2-0でミランの圧勝だったと記憶しています。まるで格闘技のようなスピード感のあるサッカー、そしてスタジアムの熱気は一度は体験してみるといいものです。とくに応援しているチームのないわたしも、この日だけは赤黒のユニフォームを着て、Milanistaミラニスタ(ACミランファンのこと)になりすまし、熱狂していたのでした。
Ciao! またね!



by tomokarco | 2007-03-08 16:57 | イタリア留学回想録